初めまして。ぐっちです。

初めまして
ぐっちです。

僕は現在、コンテンツビジネスを仕組みに組み込んで
自動で収入を稼ぎだす不労収入を作っております。

でも元々どこにでもいた、ただの社畜営業マンで
生まれてから自分が信じた道をただひたむきに
生きてきました。

今回は、自己紹介ということで
僕の生い立ちやどんな人生を歩んできたのか。

そしてネットビジネスに取り組んだきっかけ
まで全てを包み隠さずお話しします。

 

毒親に人生を狂わされたぐっち~どこにでもいるただの凡人~



僕は、平成2年(1990年)に徳島県に生まれました
生まれた家柄がそれなりに世間でいうところの
裕福な
家庭でして、

小学生までは

習い事で習字、塾、ピアノ、水泳、テニス
を習っておりました。

父は、頑固な感じで冗談が下手な人
口を開くと人を小ばかにするようなこと
しか言わない人


簡単に説明すると企業の頭の固い社長のような感じです。


母は、ヒステリックな感じの人
大切に思ってくれてるかと思いますが
大切の仕方が毒親そのもの

転勤が多く、あまり地元に執着もなかったです。

中学生から高校生にかけての受験で僕の人生で
初めて
違和感を感じたように思います。

僕は、工業系の高校を志望してたんですが、
専門的な学校では
潰しが効かないと親から
普通科高校に行けと言われました。


普通科高校でなければ、
携帯電話は買わないからなと脅し付きでした。


僕は従うことしかできなかったため、
しぶしぶ普通科高校に行くことに
なりました。

高校生活でいうと、すごくモテました。
嘘かと思われるかと思いますが
高校2年生の時、一クラスの女子全員から好意を
抱かれていたこともありました。

その当時、僕には彼女がいて、彼女はいろんな
女の子からいじめを受けていたそうです。

同年での文化祭、当時僕が親友だと
思っていた友達が
いたんですが、
そいつには好きな女の子がいました。


僕は、そいつの好きな子が誰か知らなかった
ですが、
協力すると言いました。

親友が恋に悩んでるんですもん、
当然協力しますよね。


そいつに頼まれて、好きな子がいるクラスに一緒に
行きました。

その子がこちらをみるや、僕の方に走ってきたんです。

その子は僕のことが好きだったんですね。

当然、親友からしたら僕は裏切り者。

縁を絶たれ、僕は女からモテる=ヤリチンという
ことで
いじめを受けることになりました。

皮肉になりますが、別に僕はモテたかったわけではないです。
好きな女の子と付き合いたい。

それしかないのに、周りからの評価だけで、
僕はいじめを受け
一時期不登校に。

そして、なんとか学校に復帰し、とあるテストがありました。

ここでまた事件が起きました。

後ろの席のやつにカンニングさせてくれと言われました。

僕は、仕方なくカンニングさせてあげたのですが、
先生から見つかり謹慎処分に

親は泣きました。

「あんたなんか生まなければよかった」

と言われました。

僕は、死のうと思い、川に飛び込もうとしました。

それを引き留める親
どうせ世間体しか考えてないんだろと思い
僕は腐る一方でした。

高校3年生になっても、いじめは受けておりました。
僕と仲良くなるといじめの対象になると
しばらく友達はできなかったように思います。

そんな中、ある一人の男から声をかけられました。

僕は、そいつがいじめにあうのは嫌だと遠ざけ
ようと
したんですが、そいつは僕に向かって

「俺、リアルには興味ないから。2次元にしか興味がない」

って言ったんですね。

普通からしたら、むちゃくちゃ気持ち悪いです。
ただ、当時の僕からしたらなんてかっこいいやつ
なんだという
感情しか湧いてこなかったこなかったです。

僕は、そいつと仲良くなりました。

当時、
涼宮ハルヒの憂鬱、らきすた、みなみけという

作品が流行っていたのか、

そいつの家でアニメを見たり

カラオケでアニソンを歌うのが日常になり、
むちゃくちゃ
楽しかったように思います。

そして、大学進学か就職かを決める時期
僕は、アニメ関係の学校に行きたいと思い
親に頭を下げました。

親からは、もちろん却下されました。

有名な大学でないと許さないと
僕は、立命館大学にいくことになりました。

そこに行けば家から出られるという条件があったからです。

僕は、自己推薦(AO)で大学に合格し、

親の元から旅立てるととても晴れやかな気持ちで
家を出たんです。

そこで、まさかあんなことになるなんて……..

 

大学生のぐっち。~手にしたのは幻想の自由~



大学生になり、僕は家をでました。

初めての一人暮らし、楽しみという反面
不安な気持ちもありましたが、当時は
家を出られる喜びに震えておりました。

大学1年生の時、大学ではめずらしいのかも
知れませんが、クラスがあり割とテンションが
高いグループに属していました。

初めての一人暮らしで同じような心境の奴らも
多く、毎夜誰かの家に集まり麻雀をしたり
夜中にカラオケ、ボーリングをしたり
それはもうむちゃくちゃ楽しかったです。

中には、僕と同じオタクもおり、そいつとは
今もたまに会ったりしてますが
一番仲良くしていたように思います。

そんな中、バイトを始めようと思い
親に相談しました。

親からは、バイト代の倍は出すから
学業に専念しろと言われました。

これを見て2種類の人間がいるように
思います。

①倍ももらえるならバイトしねーわ
➁ふざけんなよ

僕は、後者でした。

親の金で遊んで何が楽しいんだ。
そんなことを思い、バイトを始めました。

大学だって一人暮らしだって親の金なのに
何を考えてたんでしょうね、当時の僕は。

とにかく親からの言い分が気に食わなかった。
それは今も同じです。

親に背きまくり、それで成功収めて見せる。
そう思って生きております。

そして、成功を収めた暁には親に感謝を
伝えたいと考えております。

話が外れましたが、
アルバイトでも充実の一言でした。


バイトリーダーにまでのしあがりましたし

オーナーからも店長からも慕われ、
バイトメンバーにも
恵まれ、
大学生活ってむちゃくちゃ楽しかったですし


ここで今の僕の根っこの部分が出来上がったのは

間違いないように思います。

趣味でいうと、お金も持つようになり、オタク業に
むちゃくちゃ専念しました。

当時、「けいおん!」という作品が流行り、
中野梓という
キャラクターがいるんですが、
このキャラの
声を当てている、
竹達彩奈さんにゾッコン。


けいおん!という作品を知るや、僕はmixiという
SNSを始め、趣味を共有できる友達を探しました。

そこで、出会った2歳下の友人。
仲良くしていた一方で、僕が喧嘩を吹っかけて
絶縁みたいになってしまいましたが、
とあるきっかけで仲直りして、そいつと
オタク趣味を満喫しました。

こいつとバカなことをしているときが
一番自分が自然体でいれるような
気がしていました。


今でも一番の親友であることは間違いないです。


竹達彩奈さんを追いかけて、
いろんな土地を巡りました。


特に思い入れが深かったのは、広島県の竹原という

地名でして、「たまゆら」という作品の聖地になります。

駅をでると、「おかえりなさい」の文字

これには、感極まるものがありました。

アニメでしかみたことのなかった場所が
そこには広がっていて
なんとも落ち着く
雰囲気に包まれていました。


こんな感じで、
リアルのプライベートも趣味でのプライベートも

アルバイトも充実の一言でした。

本業の学業でいうと….
毎年、留年勧告の嵐。

そもそも、
家からでるというので僕の目的は達成していた為

学業なんてどうでもよかったんですよね。

そして、4年生になって当然のように留年。

流石に焦って勉強と就活を始めました。

しかし、大学の単位は取れるものの、就活の面接がうまくいかない。

何社、何十社受けても、内定がでない。
当時、就職氷河期と言われてはいたものの全然でない。

僕は、いろんな土地でいろんな価値観を深め、
自分がこれだ
という道もこの時見つけていた。

これがそもそもダメであったことに気づいたのは5年生の冬だった。

僕の思考は世間から外れまくっていた。

会社というのは、
右も左もわからないただキラキラしている

純粋な人間を好む傾向にある。

簡単に説明すると「サザエさん」の
「タラちゃん」のような

存在を好むのである。

あの作品はうまくできている。
タラちゃんがいなかったら磯野家は崩壊している
だろう
とも思う。

僕は思考だけでいうとすでに「波平」クラスであった。

自分が正しいという道を唯我独尊で突き進む。
頑固おやじであった。

5年生で内定が出ず、
親から「帰ってきなさい」の一言


僕は、ボロ泣きした。

楽しいだけじゃ、生きていけない。
自分で生活基盤を獲得し、その上でないと
本当の自由は手にすることができないんだと
泣いて泣いて泣いて後悔した。

僕は大学最後の年、体重が1年間で30kg近く太っていた。

終わりの見えない地獄~どん底の人生~

 

大学を卒業してからの僕は、徳島県に戻った。

徳島県に戻ってからは、親に反発し
定職にはつかずに、自分で生活できる
お金と時間を手に入れるために
アルバイトを始めた。

お金がある程度まとまったら夜逃げするつもりでいたからだ。

しかし、親から正社員になりなさいと言われていた。

正直、正社員になることが素晴らしいことだと
当時から
思っていなかった僕としては、
なりたいとも思っていなかったし
なるにしても
自分が幸せだと思える環境でないと
それは意味がない
ものだと認識していた。

僕は、根負けして徳島県で商社営業の正社員になった。

基本給18万円、福利厚生で社宅(月5000円でマンション借り上げ)
とボーナス、厚生年金、退職金のある会社だ。


徳島県ではそれなりにいい会社だと思えた。

父からは、
「石の上にも3年。自分で決めたのだから3年は働きなさい」
と言われた。

僕は、腸が煮えくり返った。

別に徳島県で就職したかったわけ
でもないし、親に正社員になれと言われた
から
なっただけなのに、あたかも自分でなりたくて
なったと思われていたからだ。


しかし、
それと同時に自分が無力だから
親に従うしかなかったんだという

気持ちの中で何も言い返せなかった。

僕は、香川県の営業所に配属になった。

ここから社畜営業マンの始まりである。

実家を出る数日前、
父と口論になったことを覚えている

理由は覚えていないが父から

「そんなに家が気に食わないなら出ていけ」

と言われたことだけは鮮明に覚えている。

僕は、

「言われなくても出て行ったるわ。二度と戻らんからな」

と言ったことを覚えており、
これから先のどんな地獄

体験でも実家に出戻りしていない。

仕事が始まり、毎日生き地獄であった。
朝7時30分に出勤し、夜は遅い時だと22時。
たまに2徹とかした日もあった。

そして現実として、
基本給に残業代込、ボーナスは通期で3か月分、
電話当番により夜中でも電話がかかってくる、
昇給は年に500円という生き地獄であった。


手取りは12万くらいで、
たまに会社の人と愚痴を言いあい酒を飲むことで

嫌なことを忘れようとしていた。

4年目の春、僕はその会社を退職し、
京都にある製造業のメーカー営業に

転職を決めた。

親には、
「会社やめた、転職したから京都に行く」
とだけ伝えた。

親からは
「ふざけるな、何考えてるんだ」
と怒涛の罵声を浴びせられた。

気持ちはわかる、
ただ、待遇も環境もよくなるのに何故そこまで

罵声を浴びせられなきゃいけないのか分からなかった。

親に
「あんたなんか生まなかったらよかった」とか
「家が気に食わないならでていけ」とか
言われていて、身の状況を報連相するやつが
どこの世界にいるのか。

そんな奴いないと思う。

それにどうせ、
相談していてもちくちく罵られていたに
違いない。
それだけは、本能的に理解していた。

だからこそ、勝手に行動した。
”俺の人生は、俺のものだ”
そう自分に言い聞かせた。

京都の会社はとてもホワイト企業に思えた。

残業代は含まず基本給22万円、ボーナス5か月分、
労働組合、食堂完備、厚生年金、退職金


仕事が始まってからというものの、難しいことはあれど、とても充実していた。

しかし、違和感があった。

営業は、他部署に嫌われており、
下手にでないと他部署が協力してくれない。


労働組合は現場作業の手の中にあり、
多数決で物事が動くため、

営業の言い分なんて通らなかった。

そんなさなか、東京営業所の出向が決まった。
転職して半年もせずにである。

僕は、即答で出向を受理した。
理由はオタクである以上、
東京で生活することが夢であったし、

自分が叶えたかった一番の望みであったからだ。

そして、東京に出向したさなかに彼女もできた。
本当に順風満帆で幸せの絶頂期だと思えた。

しかし、このあと最大の地獄が待っているとも
知らずに。

東京の営業所で担当を持ち営業活動をしていたが
上長からは

「殴られようが蹴られようが関係ないよな」
「東京は京都ととはやり方が違う方やり方を変えろ」
「タイムカードは20時になったら切って仕事しろ」

全く理解ができなかった。

そして、お客さんの緊急事態で対応をお願いされ
どうすればよいか上司に相談すると

「自分でやってみな笑」
「なんでそれがそうなるの?」

全く理解ができなかった。

なぜ、教えない。
「緊急性があったほうが人は成長する」

バカなのか。

お客さんが困っているのになにゲラゲラ笑ってんだ。

そして、僕は鬱病になった。

ごはんが喉を通らない。
睡眠薬を飲んでも眠れない。
寝つけたとしても気づいたら、外を徘徊している。

僕は、泣きながら夜中外を徘徊していた。

そして、会社を退職し、千葉県に引っ越した。
彼女の家から少し近いし、
彼女から
「一緒に住める広さの家に住みたい」
と言われたからだ。

彼女も彼女で鬱気味で、毒親に困らさせられていた。

僕は、彼女だけは守ると心に誓い、
仕事を探して
仕事に就いた。

しかし、その会社も2週間で退職。

その会社は、ゴリゴリの体育会系で、
暴力は当たり前の
ような社風であった。

それに気づけなかった僕がバカであったのだ。

彼女から、
「うちにこないか」
と言われた。

家賃も払えないし、
実家に戻ることなんて許されなかった僕は


承諾して、
婿養子予備軍のような形で彼女の実家に転がり込んだ。


ご両親はとてもやさしくしてくれた。

しかし、
そこにはいつまでも気を張り続けないといけない、

気の休まらない空間しかなかった。

僕は、そこでも仕事を始めた、卸業のトラックの運転手だ。

その会社はわりと雰囲気がよく、
楽しく仕事ができていた
ように思う。

しかし、帰っても気が休まらないため
ご家族が家にいない時
に帰ったり、
家にいる時は与えてもらった部屋に
引きこもるような
生活になっていっていた。

僕は、自然と距離を置くようにしてしまっていたのだ。

そのときの心理状態は思い出せないが、
いっぱいいっぱい
だったのだろう。

そして、彼女は鬱になり、拒絶されるようになっていった。

同時期、僕はトラック運転中に積み荷を載せたまま
高速道路でトラックを横転させた。

完全に僕の不注意である。

本当に死んだと思った。

会社に居場所がなくなった僕は、会社を退職した。

そして、彼女にも振られた。

彼女に振られた僕は、家を出て行かなくてはいけなくなった。

当然である。

しかし、すぐに立ち退きできず、彼女と話しをして
1か月だけ猶予をもらった。

この時は本当に感謝しかなかった。

僕は、人を幸せにしたいとか、
人のためにとか考えてるくせに

むちゃくちゃクズな部分があったように思う。

家も金も職も彼女も失い、僕は絶望の中にいた。

まともな思考をしていなかったように思う。

必死に生にしがみつくようにもがいて生きていたことは覚えている。

ごはんが、1日6本入っているパンを1本だけの生活になった。
1か月で10kg以上痩せた。

そして、埼玉県に引っ越した。

理由は、
埼玉県は東京の文化を千葉県よりも
受け継いでいるが
物価が安く、
外から来る人間を拒まないような環境
であったからだ。


引っ越してから貯金が尽きた。

完全に生き地獄。

仕事を始めようにも、
身元保証人がいない僕に日本の企業が

優しくないのはわかっていた。

かといって、
親に頭を下げるつもりもなくそれなら
死んだほうが
ましだと思っていた。

毎日死にたくて、毎日泣いて、
泣きながら迷惑のかからない死に方を

ネットで調べた。

2日ほど、ごはんを食べない日があったある日、
ある小包が
送られてきた。

覚えがなかったが、その小包を開けた。

その小包には、食料と色紙がはいっていた。

色紙にはこう記されていた。












と。。。。

僕は、思いっきり泣いた。

泣いて泣いて泣いて叫んだ。

人間ってただ生きてさえすればいんだと思えた。
生きていれば何かいいこともあるんだと思えた。
生きて生きて生きて、どんなに醜くても惨めでも
ただ生きてさえすればいんだと思えた。

これをくれたのは、オタク友達たちだ。

カンパしあって、食料を買って色紙を書いて届けてくれたのだ。

僕は、一人だと思っていた。

でもこうやって支えてくれている人が
いることを知った。


そして、支えてくれた人に次こそ間違えないで
恩返しすると
誓った。

その恩返しとは、
生き続けることである。

そして、時が来た時なにかちゃんと
お礼をしたいと思った。


僕は、派遣とアルバイトを探して、
休む暇のもなく働いた。


働いて働いて働いて、
少しお金にも余裕ができたとき

このままでいいのかと考えた。

そして、出会ったのだ。



ネットビジネスという世界に。

 

垣間見えた希望~ネットビジネスとの出会い~



派遣とアルバイトでそれなりに
稼げるようになったものの

「この先このままでいいのかな…」

という不安が突然こみあげてきた。

そして、Twitterでフリーランスについて
調べるようになっていた。

フリーランスについて調べた理由としては、
実績と実力があれば、受け入れてくれるからである。

日本という国は特に信頼、信用が必要な国であり
信用や信頼を担保に仕事をしている。

どういうことかというと
約8割~9割の正社員の仕事で身元保証人
というものが
ないと働くことができないのである。

最近だと、派遣やアルバイトでも求めてくるところ
は少なくない。

身元保証人というのは、
本人が仕事する上で、何か損失があった場合、
協力してその損失を補う人のことである。

このように信頼も信用もない人間を稼ぎのある人が
これから労働する人間を保証するというものである。

ざっくり説明するとこんな感じであり
だいたい両親、兄弟姉妹になってもらうことが
多い。

もちろん、血縁者は不可として、友人などに
それを求めさせるケースも少なくない。

話が少し逸れたが、僕には身元保証人がいない
のである。

両親には現状仕事を辞めている話なんてしていない
し、それこそ、正社員じゃなく派遣とアルバイトである。

僕は、2社目に転職する際、親とむちゃくちゃ口論を
していた。

もちろん転職先を見つけたあとの事後報告であるが
1社目の状況や稼ぎ、先がないこと、全て伝えた。

その上で行動して結果もだした。

経過だけで、結果を示さないと

「やめておけ」
「無理だ」
「転職なんてするな」

など、どうせ言われるに違いないと思っていたからである。

しかし、親から言われたことは

「根性なし」
「転職するなんて何考えてるんだ」
「勝手に決めやがって」

怒涛の罵声であった。

僕は、怖かった。

自分で行動して人生で失敗したわけで、
今それを話すと何言われるかわからないし、
おそらく完全に僕は自我が崩壊する自信があった。

だからこそ、正社員という道は考えなかった。

そもそも、正社員になるとまた地獄をみる可能性が
あったから外していたというのもある。

時は流れ、いつものようにtwitterを眺めていたら
メンタリストDaigoのアカウントがタイムラインに
流れてきた。

僕は、興味本位でDaigoの上げている動画を見た。

そして、価値観が一気に変わった。

Daigoは、自由を手に入れるために活動しており
自由になるためには、

資産と資本と民衆(フォロワー)

を最大にしていく必要があり、

そのためにいい方法があれば
どんどん変えていくと言っていた。

メンタリストの仕事をしていたのも、
フォロワーを最大にするためには、
テレビでまだ誰もやっていないような
パフォーマンスをするのが手っ取り早く、
他にいい方法があれば、やっていなかったと
語っていた。

僕は、唖然とした。

そして、ぼんやりとだが自由を手に入れる
ためにはと
意識するようになったのである。

そんなさなか、出会いがあった。

それが、師匠との出会いである。

いつものようにtwitterを眺めていると
あるアフィリエイトというネットビジネスを
やっている方のメルマガ登録ページが流れて
きた。

そこには、真の自由について書かれており
僕は興奮した。

これだと思い、メルマガを登録した。

ちなみに、真の自由とは

金銭的自由、時間的自由、身体的自由、精神的自由

の4つのことを指している。

お金と時間に満足していても、
体調が悪かったり
精神がやられていたら本当の自由とは言えない

僕は、その通りだなと感じた。

そして、
怪しいな、胡散臭いなと思いながらも
その方から送られてくるメールを読んでいるうちに
どんどんその方に惹かれていき、

「僕もこの人みたいになりたい」

と思ったのである。

 

電子書籍を無料でどうぞ

 

僕は、29歳になってからネットビジネスを始めて
今では、個人で月収20万の仕組みを作って稼いでいます。

才能もないし、
親には「あんたなんか産まれなきゃよかった」と
言われて育ちました。

有名私立を卒業したのに
手取り12万で働かさせられ、鬱病に
自殺寸前まで追い込まれたこともあります。

そういった状況からネットビジネスに出会い
労働以外の時間で真剣に取り組んだところ
今まで知らなかったことやできなかったことに
挑戦することができるようになりました。

ビジネスを学ぶ過程で
仕組み化についてや
思考を鍛える方法
生産性を上げる方法や
メディアを連動させて自動化する方法
価値の生み出し方

etc…

を身に付けることができました。

学校では絶対に教えてくれなかった大切なことを
ビジネスを学ぶ過程で知ることができ、

そういった人が一人でも多く増えたら
希少価値のある人が増えて
サービスや価値が生まれて
世の中がどんどん良くなっていくのでは?

と思ったんです。

こういった経緯から
僕がゼロからどうやって今の状態に
なることができたのか?

そのことについてまとめた
サクセスストーリーを1冊の電子書籍にまとめました。

「ビジネスを学ぶ上での最初の教科書」
として活用してもらえたら嬉しいです。

内容は100ページくらいありますが
15分くらいで読めるように
読みやすくしています。

電子書籍「チョコスティックパンの男が教える退職願の描き方」を読んでみる

メールアドレスを入力したら読めます。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

もし今回の記事が役にたったら
あなたのSNSでシェアしていただけると
嬉しいです。
(この下のボタンから簡単にシェアできます。)

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

社畜営業マンから、2018年に自由を追い求め退職。 「過剰なストレスにより鬱病」で対人恐怖症になり 「頑張るのではなく楽しく生きていく」と心に誓った。 ”自分にあったライフスタイルでのお金の稼ぎ方を紹介”   【趣味】カラオケ、旅行、アニメ、声優、ライブ鑑賞、お笑い、YouTube、ラーメン巡り、競馬